待っててくれるって嬉しいね。
母へのお悔やみの言葉を、たくさんいただきました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
私のことまで心配下さって、本当に有難く思っています。
今の私は自分でも驚くほど普段と変わらないのです。
「自分が一番」な母が本当の姿なら、施設に居た母は本来の姿ではありませんでした。
不本意で不自由な、思い通りにならない生活にうんざりしていたのです。
人のために何かするのは大好き。
押し付けるともいう。
でも、自分にしてもらうことは好まない母でした。
こんな風に書くと、気前のイイ人みたいだけどね。
私たちが旅行のお土産を渡しても、忘れた頃に「コレ誰かに貰ったけど、食べないからあげるよ。」って・・・。オイオイ・・・
お誕生日に貰ったものまで、横流ししようとする始末。 (;´Д`)
それはどうかと・・・
全ては自分で決めてしたことでないと気に入らない厄介な母でした。
若い頃は美人でモテモテだったというのが自慢でした。
言い寄る男は数知れず・・・?
父と結婚したのはお情けだったとか???
そのくせ着ているものには無頓着で、どこから引っ張り出したのか私の古着だったりして驚かされたこともあります。
自分で稼いだお金は、自分のために使ってくれたら良かったのにね?
戦争で体を壊した父親と、社会へ出て働くことを知らなかった母親の代わりに、尋常高等小学校に通っている頃から小銭を稼いでたとか。
女学校へ行く事は叶わず、学校を出てからはひたすら働いて、結婚する前には自分の家を建てました。
父は婿養子さんなんですよ。
ケンカばっかりしてたけど、実は仲が良かったのかな?
私は両親が離婚するんじゃないかと、真剣に心配してたことがあるんだから。
母の出しゃばりで強引な性格が無かったら、父と2人の自営業は成り立たなかったでしょう。
そして休みの日も無く、黙々と働く父が居なかったら母はタダの威張りん坊でしかなかったでしょう。
あなたたちが居たから私は何の不自由も無く、ここまで来られました。
たとえ年老いて人の手を借りる存在になったとしても、親とは心の拠り所なのですね。
そして、それはこの世に姿が見えない存在であっても変わらないのです。
だから大丈夫。
今この時も傍に居てくれる。
軽く自由の身になった母を喜んで送り出すことが出来ました。
次女に言われました。
もう少しの間、大人しくしていた方がイイんじゃない?ってね。
でもね、母は私によく言ったものです。
もうちょっと活動的になれって・・・。
いつも通りの生活に戻ります。
まだ近くに居るであろう母と一緒に、父とデートにも行きましょう。
お留守番だったクルミが楽しいように学校も行きますよ。
だってね、私には支えてくれるたくさんの家族が居ますからネ。
あ、お母さん達だ。
うん、やっと帰って来たねぇ。

やれやれ、これでご飯が貰えるね~。
待ちぼうけさせるなんて迷惑な話よね。

むふ~~っ 
・・・・・。

どんな時にも変わらない、こんなお出迎えの風景。
心がホッとして嬉しいですね。
本日からコメント欄を開けます。
お返事が出来ないかもしれませんが、許してくださいね。
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人のために何かするのは大好き。
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こんな風に書くと、気前のイイ人みたいだけどね。
私たちが旅行のお土産を渡しても、忘れた頃に「コレ誰かに貰ったけど、食べないからあげるよ。」って・・・。オイオイ・・・
お誕生日に貰ったものまで、横流ししようとする始末。 (;´Д`)
それはどうかと・・・
全ては自分で決めてしたことでないと気に入らない厄介な母でした。
若い頃は美人でモテモテだったというのが自慢でした。
言い寄る男は数知れず・・・?
父と結婚したのはお情けだったとか???
そのくせ着ているものには無頓着で、どこから引っ張り出したのか私の古着だったりして驚かされたこともあります。
自分で稼いだお金は、自分のために使ってくれたら良かったのにね?
戦争で体を壊した父親と、社会へ出て働くことを知らなかった母親の代わりに、尋常高等小学校に通っている頃から小銭を稼いでたとか。
女学校へ行く事は叶わず、学校を出てからはひたすら働いて、結婚する前には自分の家を建てました。
父は婿養子さんなんですよ。
ケンカばっかりしてたけど、実は仲が良かったのかな?
私は両親が離婚するんじゃないかと、真剣に心配してたことがあるんだから。
母の出しゃばりで強引な性格が無かったら、父と2人の自営業は成り立たなかったでしょう。
そして休みの日も無く、黙々と働く父が居なかったら母はタダの威張りん坊でしかなかったでしょう。
あなたたちが居たから私は何の不自由も無く、ここまで来られました。
たとえ年老いて人の手を借りる存在になったとしても、親とは心の拠り所なのですね。
そして、それはこの世に姿が見えない存在であっても変わらないのです。
だから大丈夫。
今この時も傍に居てくれる。
軽く自由の身になった母を喜んで送り出すことが出来ました。
次女に言われました。
もう少しの間、大人しくしていた方がイイんじゃない?ってね。
でもね、母は私によく言ったものです。
もうちょっと活動的になれって・・・。
いつも通りの生活に戻ります。
まだ近くに居るであろう母と一緒に、父とデートにも行きましょう。
お留守番だったクルミが楽しいように学校も行きますよ。
だってね、私には支えてくれるたくさんの家族が居ますからネ。










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